ヤップは紀元前1500年頃インドネシアの東部とフィリッピン南部として今日知られている地域から来た貿易商人によって定住された、と信じられています。西暦1525年までに、ポルトガル人の探検家
Diego da Rocha がこの地に到着しています。
この頃までにヤップの人々は船乗りと航海士のエキスパートとしてオセアニア中の原住民に知られるようになっています。
また、1870年代にはスペインとドイツが領有権を主張し、 Leo
XIIIによる教皇の介入でスペイン側の要望通りとなりましたが、1899年までにドイツにヤップ島は売られてしまいます。
その後、1919年に今度は日本がヤップを支配し、アメリカ軍が占領する第二次世界大戦の終結までその支配が続いたのです。
今日、ヤップはChuuk、 Pohnpei、 Kosraeなども含むミクロネシア連邦の一部となりました。ミクロネシア連邦は国連に席を置く統治国家ですが、1986年に結ばれた自由連合協定により、アメリカ合衆国と密接な同盟を結んでいます。ミクロネシア連邦の協定の下、金銭的な援助や郵便物を扱うアメリカ合衆国郵便サービスのようなさまざまな恩恵を受けています。また米ドルはミクロネシア連邦の公式通貨となっています。
ヤップでは今やヤップ人の間でも英語が話されています。< a href="yap_language.html" onclick="this.href = 'javascript:openLanguage()'">Yapese語,
Ulithian語、Woleaian語、 Satawalese語、など少なくとも4つの伝統的な言語があり、ヤップ語はヤップの所有地で、そして他の言語は島外で話されています。
ヤップ人たちは西側諸国からの好ましい面を取り入れながらも彼ら独自の文化を維持しています。近代的な学校は高いレベルの文字教育を行い、医療サービスも容易に受けることができます。
ヤップを構成している4つの島のうち最北の島では人々はできるだけ西洋文化の取り入れを拒んでいます。彼らはRumungとヤップの所有地を結ぶ古い橋を取り除き、訪問客をあまり歓迎していません。